思い出話に花が咲くのは、あなたの心が枯れていってるから。

思い出は作るまでがすべて。

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どうも。さとし』です。

(いや誰だよ?という方は>>こちら

思い出話に花が咲いてる人は、それから自分に良い変化が起きていない。

今日、僕が伝えたいのはこんな話です。

 

僕は「思い出話に花が咲く」という感覚がわからない。

「思い出話に花が咲いた!」

「思い出話で盛り上がった!」

あれ、僕にはわからない感覚です。

でも、結構な人が同じようなことを口にしますよね。なぜだろう。

純粋に不思議に思ったので、思い出話に花が咲くという状況はどんなものなのか、ぼくなりに考えてみることにしました。

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思い出話ばかりするのは、良い変化していないから。

思い出話に花が咲くというからには、話したくなる理由があるということになりますよね。

じゃあその理由はなんだ?って考えた時に、パッと思い浮かぶのは

そのときが今よりもよい状況にいたから」。

そりゃ、人間いつも今が最高!ということはありえない。山もあれば谷もある。

「あの瞬間がいちばん自分の良いときだった」と感じるタイミングがあるのは自然なこと。

これは、僕も痛いほど理解できます。

ただ、僕はそれをずっと話の種にしたいとは到底思えないんです。

ぼくは自己紹介や説得材料として「インターハイ出た」とか「ブログ収益5万超えた」なんて過去の実績を伝えることはある。けど、それはただの報告

それを語ることで「あのときオレはすごかったんだぞ~」とか「あの頃は良かったなあ」とはなりません。

だって、そのときよかったという事実を話したところで、その過去が戻ってくるわけじゃないから。

なんにも得られるわけでもないのに、過去を語る魅力なんてないじゃないですか。

 

 

思い出は作るまでが楽しい。作った瞬間が満開。

思い出はつくるまでが楽しいのであって、過ぎ去ってしまったものをもう一度楽しむことなんてできません。

だってそうでしょ?冷静に考え直してみてください。最高の感覚を手に入れる瞬間っていつです?

ぜったい思い出を「作った」タイミングじゃないっすか。体験している瞬間じゃないっすか。

 

あとから想起したって、ぜったいにその瞬間以上の快感を得ることはできませんよ。

めちゃくちゃうまい料理をはじめて食べたときを考えてみて。どのタイミングいちばん幸せです?

ぜったい食べてる瞬間じゃん。数年後に突然「わあ、食べたとき以上の感覚が口の中に拡がる~!」とはならんでしょ。なったらヤバイ薬におかされてるよそれ。笑

つまり、思い出話に花が咲くとすれば、満開になるのは作った瞬間なんです。その後はどんどん色あせて枯れていく。

どんなにきれいに保管したところで、そのときの感覚や心情を完ぺきに再現することはできないんですよ。

 

過去の思い出話をするよりも、次の新しい思い出を育てよう。

僕は思い出はアップデートするものだと思ってます。

良い思い出を作ったら、また次の思い出を育てていきたい

屋久島行ったなら「つぎは白神山地に行こう」と考えるし、

インターハイ出たら「一般でも全国大会出よう」と考える。

つねに次の新しい思い出、つまり未来を想像してるんです。

 

あなたはこれからも思い出話に花が咲く状態を続けるのかい?

 

あなたはこれからも、色あせた思い出話を他人に見せて回るんですか?

それとも、新しい思い出の種をまき、育て、花開く瞬間を、自分や誰かにみせていきますか?

あなたが過去に一生の思い出をつくったと思っても、その思い出が「一生の中で最高だ」なんて保証はどこにもありません

その思い出を最高ということにしておく理由もない。

だからもっともっと、いい思い出を作ったっていいんですよ。

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