西日にカメラを向けるとき、僕は「死」と向き合っている。

ぼくは死の恐怖から逃れるために、美しい写真を撮ろうと思う。

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こんにちは。さとし』です。

(いや誰だよ?という方は>>こちら

ぼくは西日の差す時間、いつも「死」と向き合っている。

今日は、そんな話をさせてください。

さとし』の西日写真集

まずはぼくの作品をどうぞ。

これと「死」となんの関係が?って思いますよね。

ぼくが言いたいのは写真の中身ではなくて、西日の写真を撮る動機のこと。

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ぼくは西日の差す時間が嫌いだ

ぼくは本来、西日の差す時間帯ってキライなんです。

なぜなら、「死」を考えてしまうから。

日の傾く時間が訪れるたび、僕の中に眠る

  • 「老い」
  • 「衰退」
  • 「止められない時間」
  • 「忍び寄る終焉」

…etc

といった、ネガティヴな言葉が赤い光に照らし出され、どうしようもない不安と恐怖が湧き出てくる。

この感覚を最初に強く意識したのは19才のころ。以来、ずーっと続いています

なにを大げさな、と思うかもしれませんね。
自分でも、何度もあほらしいと思いました。やめたいと思った。でも、どうにもならなかった。

 

西日との向き合い方に変化をくれたのは写真

そんなぼくに変化をもたらしたのが、写真。

写真に写し出される西日は、心底美しいと感じます。
そして、死を感じない、むしろ生命の温かみを感じる作品も多い

それなら、
写真の中の西日をながめ、自分でも写していけば、西日の差す時間を前向きに捉えることができるんじゃないか。
このイヤな時間を克服できるんじゃないか。
そう思ったんです。

そう。
ぼくにとって「西日を美しく描写する」という行為は、
赤い光から浴びせられる不安と恐怖を打ち消すための、ひとつの「防御策」なんですよね。

西日のさす世界を撮ること。それは、写真家としての楽しみでもあり、僕の中にある「死生観」との対話でもあるんです。

なぁんてことを心の隅にとどめながら、今回の写真をもういちど見ていただけるとうれしいです。

ちょっと見え方が変わるかも?

…ちなみに今回の写真、ひとつだけ「写ルンです」で撮ったものがまぎれてます。気づきました?

撮影地:宇治駅周辺,出町柳(鴨川デルタ)
カメラ:iPhone6s,写ルンですシンプルエース

 

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