「自分なんて必要とされていない」と思うなら環境を変えよ!

無理矢理今の状況に順応させて自分を締め付けるくらいなら、環境を変える方に注力を。

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必要とされないと感じるのは、今いる環境が問題なだけ

自分なんて必要とされていないんじゃないか?

自分がそう感じているのなら、多分その通りです。
そんなことないよ〜、と慰めが欲しいならいくらでも出来ますけど、多分違うでしょ?
その手の話は結局のところ対症療法にしかならないので、あえて避けます。

で、この悩み。そのままでは言葉足らずなんですよ。

自らを追い込んでしまうことになっちゃいます。

言葉を補いましょう。

「今の環境においては」自分なんて必要とされていないんじゃないか?と。

あんま変わらないじゃん!って?いえいえ。全く違います。自分の必要性を判断する範囲がめちゃくちゃ拡がるんです。

 

あなたの世間なんて、地球規模で見たらハナクソ以下。

僕らの世間なんて、まともな知人はせいぜい100人程度です。さらにいつも関わる人に限ったら10人前後。地球の人口の1000万分の1にも満たないんです。

僕らのネットワークは、地球規模で見たらハナクソ以下ですね。

それくらい、僕らは本当に限られた世間で生きていることになるわけです。

言い換えれば、一歩隣に行くだけで、全く違う環境になる可能性があるんですよ。

 

逃げたら負けという考え方は危険。

多くの人は、逃げたら負けって考えにすぐ走ってしまうんですよね。

でも、本当にそうでしょうか。

ぼくは、「置かれた場所で咲け」的な発想は危険だと考えています。限界があるから。

砂漠で花は咲きますか?咲きませんよね。せいぜいサボテンの花くらい。

死海に魚は住めますか。無理ですよね?

誰でも住める環境なんて存在しないんです。現実問題として。

多くの人は、それを無理やり「どこでも生きられないのは自分のせい」と、盲目的に信じ込もうとしているだけです。

自然界の生物は、自分たちの住める環境を適宜選んでいるから、うまく生きのびられるんです。

ほんと、人間なんかよりよっぽど彼らのほうが賢いですね。見習おう。

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あなたには価値がある。必要とされる環境にいないだけ。

「自分は必要とされていないかも」と悩む人って、真剣に考えているあたり、ホントは中身のとても濃厚な人なんですよ。身の詰まった果実なんだと思う。

ただ、それをマラソンの給水ポイントに置いてしまっているような感じなんですね。そこじゃさすがに手にとってもらえません。

もっとこう、レストランのデザートとかデパ地下の青果コーナーとか、そういったところに並べばいいんです。

一流品として重宝される場所を探せば良いじゃないですか。

え?「環境のせいにして自分を守るのは弱い人間のすること」だ?

いやいや、ちがいますって。

ぼくは決して「責任を環境に押し付けろ」とは言っていませんよ。

責任は「環境を変えられない」今のあなたです。環境はあくまで原因に過ぎないのですから。

環境を変える勇気を持てない自分と、真剣に向きあうべきだ、と言いたいのです。

 

あなたがすべきは耐えることではなく、環境を変えること。

自分が必要とされていないと感じる環境にい続けることは、あなたに何の得もありません。

我慢していればいつか報われる、というのは甘えです。苦労していれば良い結果が降ってわいてくるというのは安易。

そうではなく、良い結果を生み出す過程で「結果的に」苦労している人が多いということなのです。

苦痛に耐えていれば必要とされる人間になれるって論理、おかしいでしょ?

あなたは自分の必要とされる場所に行く勇気、環境を変える勇気を持ち、行動に移していくべきなのです。

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